|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 交響 : [こうきょう] (n,vs) reverberation ・ 交響曲 : [こうきょうきょく] 【名詞】 1. symphony ・ 響 : [ひびき] 1. (io) (n) echo 2. sound 3. reverberation 4. noise ・ 曲 : [きょく, くせ] 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
《交響曲 嬰ヘ調》(''Symphony in F-sharp'')作品40は、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが完成させた唯一の交響曲である。ただし、曲の規模や演奏形態、楽曲構造などから、若書きの《シンフォニエッタ》作品5(1911年 - 1912年)を交響曲に含めて差し支えなければ、本作品はコルンゴルトの2作目の交響曲ということになる。 一般的に本作品の調性は嬰ヘ長調であると言われるが、出版譜の表紙には単に“''in F#''”としか記されておらず、“''in F# major''”とは表記されていない。また、開始楽章では確かに嬰ヘ長調の調号が記載されているものの、調性感は著しく拡張され、曖昧模糊として判然としない。以上から、本稿においては、作品の主調は「嬰ヘ調」とする。'Symphony in F-sharp'')作品40は、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが完成させた唯一の交響曲である。ただし、曲の規模や演奏形態、楽曲構造などから、若書きの《シンフォニエッタ》作品5(1911年 - 1912年)を交響曲に含めて差し支えなければ、本作品はコルンゴルトの2作目の交響曲ということになる。 一般的に本作品の調性は嬰ヘ長調であると言われるが、出版譜の表紙には単に“''in F#''”としか記されておらず、“''in F# major''”とは表記されていない。また、開始楽章では確かに嬰ヘ長調の調号が記載されているものの、調性感は著しく拡張され、曖昧模糊として判然としない。以上から、本稿においては、作品の主調は「嬰ヘ調」とする。')作品40は、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが完成させた唯一の交響曲である。ただし、曲の規模や演奏形態、楽曲構造などから、若書きの《シンフォニエッタ》作品5(1911年 - 1912年)を交響曲に含めて差し支えなければ、本作品はコルンゴルトの2作目の交響曲ということになる。 一般的に本作品の調性は嬰ヘ長調であると言われるが、出版譜の表紙には単に“''in F#''”としか記されておらず、“''in F# major''”とは表記されていない。また、開始楽章では確かに嬰ヘ長調の調号が記載されているものの、調性感は著しく拡張され、曖昧模糊として判然としない。以上から、本稿においては、作品の主調は「嬰ヘ調」とする。 == 作曲の経緯 == コルンゴルトは、亡命前から嬰ヘ調の交響曲の主題を着想していたが、草稿はその後も構想の域を出ぬままだった。 1945年に第二次世界大戦が終結したのに伴い、コルンゴルトは、ハリウッドの映画界に対して嫌気が差していたこともあり、商業音楽から芸術音楽の復帰を目論み、さらには、すでに市民権を得てアメリカに帰化していたにもかかわらず、ウィーン楽壇への復帰にも意欲を燃やした。この流れの中で完成・初演されたのが、《ヴァイオリン協奏曲ニ長調》作品35である。評論家の袋叩きに遭ったものの、聴衆の支持を励みにコルンゴルトは新作に取り掛かり、1947年8月にはついに交響曲に着手する。しかし、翌月に心臓病の発作に見舞われたこと、ウィーン帰還の大掛かりな準備を優先させたこと、1949年から1950年の里帰りの目玉であった、歌劇《カトリーン》と《交響的セレナーデ》がことごとく不評で大失敗に終わったこと、結果的に失意の末に1951年にアメリカに引き返さなければならなかったことから、交響曲の完成は1952年9月9日までもつれ込んだ。 出来上がった交響曲は、「フランクリン・デラノ・ルーズベルトの追憶に」献呈された。コルンゴルトは、ルーズベルト元大統領の指導力が、理不尽な圧政からヨーロッパを解放したと信じていたからである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「交響曲 (コルンゴルト)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|